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「下流の宴」を読んで「中流」がいかに難しいかを改めて考えた

いやー、まるで生わたで締められているような「苦しくないけど身動きとれない」忙しさ…!!ああ!

でも、本はちびちび読んでます。心が豊かになりますね、本!

今日は知人に「面白いですよー」と勧められて読んでみた「下流の宴」の話です。

下流の宴

下流の宴

 

 読み終えて、ぼくも「面白いな」と思いました。

以下ネタバレにならない程度のりとてき解釈によるあらすじです。

自分の家族が上流ではないけど決して下流とは思っていない主婦由美子さんの目下の悩みは、手塩にかけて大事に育てた息子の翔くんの行く末です。翔は中学受験をしていい中学校に入ったものの、そこで燃え尽き高校をドロップアウト。以後フリーターをしながら20歳を迎えしてまっています。

「このままではうちは下流になりさがってしまう」と戦々恐々し、なんとかしようと努力する由美子さんですが全て空回り。そんなある日、翔くんはネトゲで知り合ったフリーターの玉緒を連れて「彼女と結婚するから」と言うもんだからそりゃもう大変。

というお話です。

お話の中で描かれる「中流」像なのですが、「中流」という呼び名で語られながらすごく特権階級的な印象を受けます。由美子さんは「中流」であることにすごいプライドを抱いています。中流なのに上目線。このミスマッチ感。そしてそんなプライド高い中流の皆さんが見下す「下流」社会の描写。「中流」であろうが「下流」がいてくれるからこそ相対的に自分たちは高い位置にいる。でも決して上流ではないこっけいさ。

そして早くに夫を亡くしたため、女手一つで「あなた達に下流の暮らしは決してさせない」と努力しまくって中流の家庭を守った祖母。そんな「中流」でしかないのに「下流」を見下し威張っている母に嫌気がさして「上流」を目指すも、「女は自分が頑張って上流目指すより、上流の男の嫁になるのが幸せの近道」とひたすら女を磨くことに全ての努力を注ぐ姉、そんな家庭環境のなか、とことん「努力」を否定していく草食男子日本代表の翔くん。

いろんな風刺がもりこまれすぎてて、どこをどう突っ込んでいいのやらという「現代社会への皮肉」が満漢全席状態です。

ところで、こんな感じで今のぼくらは何かの事象に対して「善」か「悪」かしかないような、間の柔らかなグラデーションを全て許さないような世の中に生きてますね。自分と相手を比較して、どちらかが善でどちらかは悪みたいな。中流と下流を比較すれば自分たちは善である。という、その価値判断のなかに上流の存在は勘定されてない違和感みたいな。これって、安保法案しかり、オリンピックの問題にもなんか通じるなーと思います。一面から見て「善」か「悪」かを判断して、一度判断を下したら、他の角度からの見方は全てスルーしちゃう感じ。

格差社会の物語を風刺した小説が、評価のされ方まで世の中を風刺してるなんて、奥の深い物語だなー。

とか思うと、一見すると何もしてないように見える翔くんですが、「何もしない」ことに全力で取り組んでるようにも読めました。本当に生きていくのがしんどい世の中ですなぁ。

そういえば昔読んだ本に、学生が寝心地が絶対わるい教室の机で授業中に無理して居眠りするのは「先生の授業はつまらないです」と全力で意思表示してるのだ、といったことが書かれていました。「下流志向」という本だったかな?…ちょっと記憶が曖昧です。 

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)

 

 翔くんの態度はそれに似てますね。