「幸せなんて人それぞれだよね」としみじみ感じる「小野寺の弟・小野寺の姉」

この世知辛い世の中で、じんわりの染み入る映画にまた出会いましたよ。痛ましい事件も起きますが、幸せな作品も生まれる。だから現代社会で生きていけるってもんですね。

幼い頃に両親を亡くした小野寺きょうだいは、親の残した昭和の香りがプンプンする家で、贅沢をすることもなくお互い支え合いながら慎ましく暮らしています。

ねーちゃんのより子は40歳。両親の代わりに弟の面倒を見てきたしっかり者です。弟に幸せになってほしいと心から願い、弟の恋愛を全力でバックアップします。

弟の進は33歳。今までねーちゃんにずっとお世話になってきたので、ねーちゃんが幸せになる前に自分だけ幸せになるわけにはいかない、と恋愛に積極的になれず、そのことがきっかけでちょっと心に傷をおってます。

この「お互いに相手を思いやる気持ちのせいで足を引っ張りあってる感」が切なくて、でもお互いに思いやっての言動が、見てて優しい気持ちにさせてくれます。絶妙です。

世間一般からみれば「ボロい家でいい歳になっても結婚せず二人で暮らしているきょうだい」って構図です。町内会なんかで「あそこのきょうだいは…」って井戸端会議のネタになる感じです。でも二人の周りには小さな幸せがたくさんあるんです。なぜかっていえばお互いに思いやりを持ってるからです。

「幸せは人それぞれだよな、うん」としみじみ思いました。

この世間と当人のギャップって難しいよなーって最近よく思います。

「被害者の身にもなってみろ!!」とネット上のコメント欄でお怒りになってる方って被害者率が少ないってよく言われますよね。

東日本大震災のあと、花見が自粛ムードになった中「花見して東北のお酒買って飲んでください」って動画をアップした「南部美人」の話とか、もっかい思い出さないといけないよなって思ったりする今日このごろです。

「自分がこれだけ怒るってことは、ほかの人も同じように怒るにちがいない。」

「自分がこれだけケシカランって思うことは、ほかの人も同じようにケシカランと思うにちがいない」

「自分が不幸だと感じることは、ほかの人も同じように不幸に感じるに違いない。」

みたいなパワーが原動力の話題が今年に入ってから多い気がします。各種の謝罪会見とか保育園設置反対とか。

同じ理由で「チーム◯◯」とか「オール△△」とかで知らぬ間にひとくくりにされると、ちょっと後ずさっちゃうぼくです。

え?それはぼくがコミュ症なだけですか?あちゃー。

ま、予告動画でも見て幸せな空気をちょっと感じてみてください!


『小野寺の弟・小野寺の姉』予告編

今週のお題「2016上半期」