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「バベル九朔」で「激しく同意いたします!」と感じたトコロについて語る

「バベル九朔」という小説を読みました。この独特な気持ち悪さ。ちょっとクセになります。なんでしょうね?ちょっと苦いけど美味しい、みたいな、海系の食べ物のような印象でしょうか?

主人公は「小説家にオレはなる!!」と突然大手企業を辞め、親戚一同が管理で困っていたお祖父さんが建てた駅前の雑居ビル「バベル」の管理人を買って出て、部屋にこもって小説を書いたり、ビルの掃除をしたり、電球を替えたり、家賃を集めたり、小説を書いたり、という生活を過ごしているアラサー男子です。

「駅前に戦後間もなくくらいから建ってる雑居ビル」っていうと、どこの街にもあるじゃないですか。新しいオシャレなビルが周りに建っちゃったせいで醸し出されるあの独特のたたずまい、そんなビルに入っているワケありのテナントと店主、そんな人たちとの交流と、応募作品が一度も入選したことがない小説家志望の管理人主人公、ってもうこの「どこにも行けない感」がたまりません。

そんな日常に、謎の全身黒ずくめ美女、通称「カラス女」が登場して「扉は、どこ? バベルは壊れかけている」とか言うもんだから、主人公の日常は非日常化していき、物語が進むにつれ、本を読む手が止まらなくなるのですが、それでもめげない主人公の「小説家になりたい」と思ったきっかけが語られるシーンがあるんですね。物語の本流ではないですが、一切のネタバレが嫌な方はあと読まないでくださいね。

 

要約すると、春の桜の時期が大好きだったはずなのに、いつの間にか仕事に追われて桜を楽しむことができなくなった自分がいた。自分は死ぬまでにあと何回人生で桜を楽しむことができるのだろうか?って考えたとき、仕事を辞めて小説家になろうと思った。

ってことなんです。沁みました。「ぼくもそうだった」って思い出したんです。3月末から4月あたまにかけての桜が満開の時期がぼくは大好きで、高校大学の頃など用もなく自転車で徘徊してたもんです。そして言いようのない高揚感というか多幸感に包まれて、周りから見ると「怪しい人」臭をムンムンに漂わせていたことでしょう。

でも今はもう、「きれいだなー」って思うことはあってもあの頃のような昂りはないですね。時期が悪いんですよね。総括とか決算の時期とかぶりますからね。

この時期だと「夏の終わり」感を無性に噛み締めてたもんです。

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「背後から忍び寄ってくる死のイメージ」とでもいいましょうか。早く帰った日の夕方なんかにおつかいを頼まれたりした道中なんか、色濃く感じますが、そんな日は大人になるとそう毎日はないですよね。

なんかこう、子供の頃には感じてた、大きく心が動く体験をもう一度味わいたい!って気持ちがある一定量を超えたら、人は簡単に今の生活を捨てられちゃうのかもしれないな、ってこの本を読んで思いました。

バベル九朔

バベル九朔