「幸せになる勇気」は「嫌われる勇気」よりなんかストっと入った

最近なんかバタバタしているぼくです。忙しくて死にそう…ってわけじゃないのですが、気がつけば日々が粛々と過ぎてってます。ぐは。人生を取り戻せ!ってなノリで、これ読みました。

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 以前「アドラー式〜」みたいな本がビジネス書のコーナーにたくさん平積みされてたときに読んだ「嫌われる勇気」ですが、「確かになー」と思いながら「でもこれ実践するの難しいな」って思いました。「嫌われる勇気」は、人生に悩んだ青年が、アドラー心理学について説く哲人と対話しながら、アドラー心理学について理解を深めていくストーリー形式な本でしたが「なるほどよくわかった。でも、これ実践したら、まわりから変人扱いされるな。」って思ったんですね。「子どもを褒めてもいけない叱ってもいけない、行動基準が、褒められるためや叱られないためになってしまうからだ」とか書いてありましたからね。わかるんですが難しいですよね。

そしたらこの「幸せになる勇気」は「実践してみたものの、さっぱりうまくいかず、ぼくはアドラーに裏切られた!お前に騙されたんだくそやろう!」と哲人のところに突撃してきた「嫌われる勇気」から3年後の青年の物語でした。

うまいなーって思いました。「嫌われる勇気」を読んで感じた疑問について、追加で説明をしてくれる展開だったんですね。

ところで、この青年なのですが、見事なくらい中二をこじらせてるんですよね「はっ!」とか「ぺっ!」とか「ふっふっふ」とか、リアクションがひどいです。自分の価値観の砦は守ろうとしながら哲人に向かって「このニヒリストめ!」「この薄情者!」「このドブネズミめ!」と、もはやギャグです。

まあ、議論のとき「意見の否定」と「人格の否定」がイコールになってしまう討論が苦手な日本人代表選手的なイメージなのかもなぁ、なんて我が身を振り返ったりもできるキャラです。

そんな話はさておき、今回はなんかすとっと入ってくる話が前より多かった気がします。

「嫌われる勇気」でも、嫌われるかどうかは相手が自分のことをどう思うかの問題で、人が自分のことをどう思うかは自分では操作できない問題だから気にするな。という「課題の分離」な話はなるほどでした、じゃあ自分の問題としてできることは何かって言うと「とにかく人を愛し敬え」って話でした。

このあたりに「幸せになる勇気」の哲人はさらに突っ込んで説明をしてくれます。特にこどもが勉強しなかったり問題行動を起こすのは「こども自身の問題」なわけだから、親は叱るのではなくまず子どもの姿を受け入れて敬えってあたりの話は、絶賛子育て世代の自分としては目を見張るものがありました。

導入の話題として、学校の生活指導の先生が、年中怒鳴っていないといけないのは、怒鳴っても効果があがらない動かぬ証拠だって話がでてくるのですが、目から鱗が200キロです。

じゃあどうするか。その後語られる「おーなるほど」という子どもの教育に関わるあれやこれやの指南。とても勉強になりました。核心でネタバレになるのでここでは伏せます。ふっふっふ。

そして話は子どもの教育から愛の話へ、「運命の出会い」ってのは「自ら出会いを求めようとしない人が自分を正当化するための方便だ」って話とか、キツイが真理かもしれん…なんて思いました。では愛はどうやって手にするものなのか…ふっふっふ。

そして最後に見事だなって思ったのが「アドラーに心酔してはならない、時代や自分のライフスタイルに応じて取捨選択してブラッシュアップせよ」というようなアドバイスで締めるあたりです。

そういった意味でも軽く読めるので、普段自己啓発系の本を読まない方でもなんかヒントがあるかもしれません。

読んでよかったなーって思いました。