「コンビニ人間」は壮絶な社会派お仕事物語でした

タイトルからしてただ者ではない感が滲み出てますよね! 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 浅はかな知識で恐縮なのですが、とある本で

「相手の気持ちを考えてから行動しなさい」と叱る先生が発達障害で苦しんでいる生徒の気持ちを一番考えてない。

ってフレーズを読んだことがあるんですね。(ラジオかなんかで聞いたフレーズだったかもしれません)

この小説は、そのことを思い出しました。

主人公の古倉恵子さんは36歳。ちょっと変わった感性の持ち主です。どう変わってるかを紹介するエピソードとして、子供のころ、公園で死んだ小鳥を見つけ、母親に「この鳥食べよう」と言った話が出てきます。恵子ちゃん的には、自分も妹も唐揚げが大好きだし、お父さんもいつも焼き鳥を「美味しい、美味しい」と食べている。だから、その材料がせっかく手に入ったのだから「食べよう」と提案したとのことなのです。

物語の中に、はっきりとは表現されてないので、誤解や偏見があったら申し訳ないのですが、そのほかにも描かれる主人公の言動は「発達障害をイメージしてるのかな?」と思わされたものが多かったです。

子供のころから「自分はちょっとおかしい」と自覚があった小倉さんは、「他人の迷惑にならないように」「家族に迷惑がかからないように」と他者と関わることを避けながら成長していきます。そして大学生になったある日、ひょんなきっかけから新しくオープンするコンビニのアルバイト求人に応募し、採用され、コンビニでバイトを始めます。

コンビニでは、すべての接客対応がマニュアル化されていて、オープンに向けてマニュアルを一生懸命読み込み練習する小倉さん。そしてオープンの日、マニュアル通りに接客をこなした小倉さんは、社員の人に褒められます。その時「自分が世界とつながった」と感じ「人間として生まれることができた」と喜びを見出しました。

よく非難される「マニュアル対応」が、「こういうときはこうするべし」とすべてマニュアル化されてるおかげで初めて「みんなと同じ」になれたという物語に使われてるんです。驚きの展開でした。

以来、コンビニでバイトをすることに生きるすべてを捧げてきた18年の小倉さんの人生に転機が訪れる話なのですが、ページをめくる手が止まりませんでした。

なぜかというと、小倉さんが「いつか人として踏み外して、周囲から疎外されるのではないか?」と常に緊張しながら読み進めなければならないからです。

なかなか感じることのないドキドキ感ですが、一旦距離を置くと、そんなドキドキ感を感じている自分に、ふと疑問を覚えます。

「ああオレは、小倉さんみたいなタイプの人を信用できないタイプの人間なのかもな」と。

小倉さんの一人称で語られる話なので、常に小倉さんがその時何を考えているのかが描写されますが、普通じゃないんです。だからいつか何かやらかしちゃうんじゃないか?と不安になるんです。でも「普通」って何よ?って思っちゃうんですよね。確かに「普通」じゃないんですが、小倉さんの思考は常にロジカルで、先に登場した死んだ小鳥のエピソードのように前後の辻褄に間違いはないのです。「人としてこうあるべき」ってところがスコンと抜けてるだけなんです。

じゃあ「人として」ってどんな尺度なんだろう?って振り返ると、よくわかりませんよね。どこにも明示されてないし謳われてない。まさに一昔前に流行った「空気」ってやつです。

そんな曖昧なものなのに、それが理解できない小倉さんを「不審な人」と思っちゃう自分に気が付いた時、口では軽く「自分は理解ある方だから」「偏見とかしない方だから」って言っちゃうことの浅はかさというか、無責任さを痛感しました。

そして、小倉さんの主観で描かれる日々は、一生懸命まわりに合わせようとしながらもどこか不審な視線を浴びせられていて、でもそのことを「辛い」と感じる感性は持ち合わせていないって具合で、今盛んに言われている「多様性を認める社会」に対して疑問を投げかけてるようにも感じられました。

ものすごい社会派お仕事物語です。未読の方はぜひ読んでみてください。すごいです。