「人の命」と「平等と責任」とが天秤の上で揺れている

ぼくは、車がないと生活がとても不便な地域に暮らしています。

車によく乗るので、必然的によく事故現場にも出くわします。

しかし、昔は「悲惨だなぁ」とか「痛ましいなあ」って思っていたのですが、心がだんだんと麻痺してきたせいか、ものすごい渋滞に巻き込まれるせいもあって「またかよ」「かんべんしてくれよ」なんて思うようになってしまっている自分にドキっとしてしまいました。

今日は自戒の念を込めて、事故について考えてみたいと思います。

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米ヤロー (id:yaki295han)さんとこのこのキャラが最近すごく気に入っています。人体クロッキーにもってこいです!

自動運転になると事故が減るらしいですね。

もう10年くらい「なるなる」と聞いてる気がしますね、自動運転。

どうやら人間が運転するより安全らしいです。そりゃそうですよね。運転って露骨に性格やその時の気持ちが出ますよね。うっかり眠くなることもありますしね。

そう考えたら、今のAIの技術なんかを使ったほうが安全な気がします。

じゃあ、なんで自動運転にしないかって言ったら、「事故が起きた時に誰が責任を負うか」がはっきりしないからだとある記事で読みました。

平成28年度の交通事故死者数は3904人らしいですが、自動運転の車だったら助かった命があったかもしれないと考えると、早く動いたほうがいいんじゃないか?とも思う一方で、でも自分の身内が、例えば何かしら自動運転の誤作動で事故に巻き込まれたら、どこに対して怒りをぶつければいいのか、うまく想像できないな、と思うところもあります。

 責任の所在、と言えば…

アルピミストの野口健さんが以前ラジオで話されてたのですが、「災害の支援に行った時200人の避難民がいる避難所に180個のケーキが支援物資で届いたんだけど、20人分足りないから配れず返さなければならなかった」と話されてました。

これも結局、「平等に配れない」「足りないのに配った責任者」なんてのが足を引っ張ってますよね…。

平等、といえば 

殺人事件の被害者で「一家の大黒柱」と、「大富豪の妻」とでは残された家族が受けられる援助が違うそうです。これは極端かもしれませんが、いろんなパターンを並べていくと、何が平等なのかわからなくなりそうです。

 

以上、渋滞の車内でぼんやり考えてたことを改めて思い出してまとめてみましたが、ホント世の中はややこしいな、と改めて思わされますね。

それでも、考えてないといけないことのような気がします。

 ただ今日は、せっかくの連休なのに天気が荒れそうで、どうしたもんかととりあえず考えることにします。