【読書感想】『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』を読みました

しんめいPさん著の『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』という本を読みました。

これ、タイトルがめっちゃ良くないですか?

「自分とか、ないから。」

これってつまり「無我」ってやつですよね。

この本をズバッと一言で表してるなーと感動してしまいます。

仏教の哲学を、宗教的な色合いを脱色し、現代用語、もっと言えばネットで見聞きするような軽率(褒め言葉です)な口調で解説してくれていて、これ以上にないくらい、するすると意味が頭に入ってくるんです。

哲学についての本で、こんなに読みやすくわかりやすい本は読んだことがないです。

「空」の理論を説いた龍樹を「インドの論破王」と呼んで、「なんかひろゆきに似てる」とかそんな風に紹介したりして、そんなこと言われたら続きが読みたくなりますよね?

「禅」についても「言葉にならねぇ」という言葉で説明されると今までにないくらいよくわかりました。

しかも、いらすとやとか、生成AIとかを使って「もはや大喜利では?」ってレベルの挿絵をちょいちょい差し込んできたりしてくるんです。

いらすとやのコラ画像ってなんであんなに面白いんでしょうね?

先日の出張の際に新幹線で読んでたのですが、面白くておかしくて、三列の真ん中のシートに座ってたのに、クスクス、クックックと笑いを堪えるのに必死になりながら読んでいました。両サイドに座ってたビジネスマンのお二人、ご迷惑をおかけしました。

この本、めちゃくちゃいいです。

 

愚痴を聞く意味

このブログではたまにうっかり愚痴をこぼしてしまうことがあるのですが、いや…たまにではないかもしれないんですが、そんなぼくですが現実世界では愚痴をこぼさないよう気をつけて生きているんです。

愚痴って聞かされる方もいい気分にならないし、吐いてるうちになんかその場の空気が澱んでいくような気がして、誰かが誰かの悪口とか言ってると「自分もどこかで誰かに文句言われてるんだろうなぁ」とか妄想してどんよりしたりして、せめて自分は楽しくポジティブなことばかり口ずさんていたいなと思ってたんです。

でも最近、発見があったというか、職場で同僚や後輩がこぼす愚痴から「今そんな問題があるのかぁ!」という気づきがあって、いろんな物事の改善のヒントになるなぁ、と感じるようになってきました。

「クレームを味方に」みたいな言説があるのは知識としては分かってたんですが「こーいうことか」と腑に落ちたような心持ちです。

40代半ば、まだまだ成長途中ってことですかね!

そして家では10代の頃から変わらずこんな絵を描いてるぼくです。

背景が埋まってきました。

マイノリティ

新しいプロジェクトとかを上の人が立ち上げて、詳細を詰めずに「あとよろしく!」とかすることがあるじゃないですか。

そんなのが手元に転がってくると、ぼくは「え?ぼくの好きにしていいんですか?上の人は他にもいろんなことを考えないだろうし、あとはお任せください!なんかあったらケツ拭いてくださいね!」と嬉しくなってしまいます。

という話を同僚にしたところ「お前は特殊だ」と言われてしまいました。

でも、別にぼくが殊勝なのだとかそんなことはなく、ぼくはぼくで「今あるものを正確に継続させていく」仕事がとても苦手だったりするので、適材適所なだけだよなーと思います。

もういい歳なので、学歴をいつまでも引っ張るのもアレかなとも思いますが、新しいものをつくっていくのが楽しいのは、美術系の大学出身だからなのかな?とも思ったりして、後輩の道標というか、「美大卒も使い道があるな」という前例になれたら嬉しいですね。

アート思考なんて言葉もある時代ですし。

余暇の趣味にも事欠きませんしね!

ちょっとずつ背景を描いてます。

オールドタイプゆえに

普段はスマホで済ませてしまっている、あれやこれやの雑務を、ちょっと時間がある時にデスクトップのPCの大きな画面でぽちぽちやってると「大きな画面って見やすくていいなぁ」とか思うんです。

スマホはいつでもどこでもいろんなことができて便利なんですが、画面が小さいからか、やっぱりなんか疲れる気がします。

ウェブトゥーンっていう、スマホ対応の、縦に縦に読んでくタイプの漫画のスタイルがあるじゃないですか。

あれも「新しい時代に即した漫画のスタイルがでたなぁ!」とか思ってたんですが、一周まわったかどうかわかりませんが、ある程度経って改めて見てみると「やっぱ見開き2ページを1画面として見てくほうがしっくりくるなぁ」とか思ってしまうんですよね。

こういうのって、中年の遠吠えかなぁ、とも思うんですが『氷の城壁』っていう、『正反対な君と僕』の作者さんが描いてたウェブトゥーン漫画が、紙媒体に再構成されて出版されたりしてて「ああ、ぼくみたいな人はやっぱ一定数いて、見放されてないんだなぁ」とか思ってホッとします。

今の時代に珍しいくらいすれ違いまくる恋愛もので、ハラハラして良いです。

そして絵の進捗はこんな感じです。

 

ごめんなさい、言えるかな?

ぼくは仕事が楽しいのですが、楽しむことができるよう、自分ができることは何でもするようにしています。

そのひとつに「敵を作らない」ってのがあります。

敵を作らないっていうと、何だか愛と平和の使徒みたいですね。

でも、敵って時間と労力を食うじゃないですか。

敵と戦ってる時間があるなら好きなことをやりたいのです。

「これから敵の部屋に乗り込む…!」とかってのも、心に負担がかかりますよね。

場合によっては「ごめんなさい」と早々にこちらが頭下げた方が早いなってこともあったりして、それでその後の仕事が円滑に回るなら何も気にせず、恥や屈辱を感じることなくごめんなさいと言えてしまいます。

我ながらすごいマインドだな、とも思います。

信念や矜持はないのか?と我ながら思っちゃわないでもないのですが、ぼくにとっての敵は「人」じゃなくて「ストレス」なので、その敵を倒すための必殺の呪文が「ごめんなさい」なら開幕と同時に先手必勝で躊躇いなく唱えてしまえます。

そのことで相手が敵から味方になってくれたら「勝ったな」と思うんです。

ノーストレスで楽しく働けることが、ぼくにとっての信念や矜持といえるかもしれません。

流石に土下座されられたりってレベルの経験がないからいえるのかもしれませんけどね。

 

ブログやってて良かったなって思うこと

出張に行ってきました。

仕事のデキるイケてるビジネスパーソンなぼくは、Wordの音声入力機能を使って会議や研修の文字起こしをして、終わったら生成AIさんにあれやこれやして復命を作ってもらったりするので、iPhoneの充電がモリモリ減ってしまうためモバイルバッテリーが必須です。

今回も、「そろそろiPhoneの充電がなくなってきたし充電しよっかな」とドヤ顔で鞄からモバイルバッテリーを取り出し、充電しようとしたら、な、なんと持ってきているケーブルがlighteningではなくType-Cではありませんか…!

なんということだ…全然イケてない…!

出張中のiPhoneは、復命作成はもとより、自宅から出張先までの往復の経路から、時間が余った際に赴く寄り道リストに旅のお供の音楽やラジオ、その他諸々がオールインワンしているわけで、バッテリーがなくなったら、もはやぼくは見知らぬ土地で一歩も動けずただそのばに立ち尽くし、残されたできることと言えば、カバンに忍ばせた本を読むしかなくなるデクの棒に成り果ててしまいます。

休憩時間に残ったiPhoneの充電で開いたGoogleマップを頼りに最寄りのコンビニに駆け込み、ライトニングケーブルを探すと、1本1980円とか強気なお値段で「Amazonならセールの時に3本買える勢いじゃん!」と仰け反りました。

しかし、背に腹は変えられません。

こんなところでデクの棒になるわけにはいかないのです。

泣く泣く大枚を叩いてケーブルを買ったわけなのですが、こんな日常生活の失敗談も、ブログがあれば笑い話のネタにできるわけで、ブログやっててよかったな、と思いながら出張先から帰って参りました。

余白の中に詰まってるもの

意識的にぼーっとする時間を作るようにしています。

ぼーっとしてると「また今度考えようかな」とか思って、頭の中の棚の中に箱に入れてしまってたいくつかのものが、てくてくと歩いてやってきて「オレのこと考えてくれよ」とか言ってきます。

「仕方ねーな」と取り出してあれこれ弄っていると、「おお!」みたいなアイデアになったりとかして、ぼーっとしてた顔が突然ニヤニヤしたりして、危ないおじさん状態になります。

こういうひらめきみたいなのって、慌ただしくしてると浮かんでくることはほぼないです。

生活の中に余白を作ると、人生が途端にクリエイティブになるなぁと思います。

余白の中にはお宝が詰まってます。

日本美術とかで言われる余白の美と同じですね。

迷子にならないためのカレンダー

何度か書いたことがあるんですが、ぼくは「やること」「やらなければいけないこと」をカレンダーアプリで管理してます。

「やること」「やらなければいけないこと」は「いつやるか」が決まってしまえばカレンダーに書き込めます。

そうすると、その時まで忘れていても良くなるので精神衛生上いい感じなんです。

朝起きて、カレンダーアプリを開くと「ああ今日はこれとこれとこれをやればいいのね」って一目でわかるのも気持ちがいいし、何の予定も入っていない好きに使える時間帯が見えるのも嬉しいです。

かなり細々したことまでカレンダーに書き込んでいるんですが、そーしておくことで「次何するんだったっけ?」とか考える必要がなくなり、その分他のことに思考が使えたりして、そんな時に面白いアイデアが浮かんだりするのでとても良いです。

気をつけないといけないのが、うっかり前日の夜寝る前なんかに見てしまうと「明日あれしなきゃ」って考えだして寝られなくなるので注意が必要です。

「覚えておく」って意外と負荷をかける行為だなって思います。

え?ぼくの脳のスペックが低いってこと?

デミグラス

子どもの頃、ハヤシライスってなんか「偽物のカレー」のような印象でした。

「今日の給食はカレーか!…いや、ハヤシライスだった…」みたいな。

これってぼくだけでしょうか?

そんな印象だったものが、大人になると美味しさがわかってきたというか、オムライスもハンバーグも、トマトソースよりデミグラスソースの方が美味しいよなぁ、とかそんなことを思うようになりました。

好みの変化ですかね?

あと、名前がなんかかっこいいですよね、デミグラスって。

皆さん、デミグラスお好きですか?

忘れた話はAIにきく

毎月初め恒例の、今月のApple Kyoさんにお送りしたイラストはこんな感じです!

AppleKyoの3人で紅葉狩りに行ってパシャリって感じです。

手前にも紅葉を描こうと思ってて忘れていたことを今この瞬間に思い出しました!ドンマイ!

最近めっきり短くなった秋を、皆様お互い楽しみましょうね。

さて、秋といえば読書ですよ。

ぼくは小説を読んだりするのが好きなのですが、続きものの小説とかって結構なインターバルを経て続編が出たりするんですよ。

いや、小説に限らず、週刊連載でない漫画の単行本とか、第2期第3期のアニメとか、忘れた頃に続きを映画でやるとか、そーいう時に「めっちゃ続きを楽しみにしてたんだけど、前の話が思い出せない!」ってこと、あるじゃないですか。

そーいう時に、chatGPTさんに「これまでのお話」を聞くのがとても良いなーと思ってます。

すごくわかりやすくまとめてくれるし、「そこもうちょっと知りたい」って部分だけ更問いするとピンポイントで答えてくれるし、今までだったらまとめサイトみたいなところを巡回してたのですが、そしてうっかり「そこは知りたくなかった!」ってネタバレまで見てしまったりしてたのですが、すごく楽だなぁって思います。

え?

ファンなら復習のためにもう一回前の話を読むなり見るなりすればいいって?

わかってるんです。

本当はそうするべきだって。

でも、今は楽しみたい作品が…お、多すぎて…。

昔は、作品に対してのアクセスの方法が限られていたので、ひとつの「良いな」と思った作品について、スルメのように長く味わっていた気がしますが、今は「良いな」がたくさんあって追いつけないですよね。

これは、幸せなことなのか不幸なことなのか、どっちなんでしょうね?