今週は急な仕事が舞い込んできて、舞い込んだ仕事を分割して、1週間表示にしたスケジュール帳の隙間に、その仕事をスポスポとはめ込んで、なんとか今週中に終わるよう、調整をしています。
ちょうど隙間をすっぽり埋め尽くす感じでなんとか帳尻が合いそうでほっとしているのですが、そんなスケジュール帳をみて「横一列並んだら消えてくれないかなぁ」とか現実逃避をしています。
まー今週だけの緊急事態なので、週末になったらのんびり…と、思ったら今週末の土日は出張が入ってるんでした。
来週はどこかで有給でも取ろうかな。

今週は急な仕事が舞い込んできて、舞い込んだ仕事を分割して、1週間表示にしたスケジュール帳の隙間に、その仕事をスポスポとはめ込んで、なんとか今週中に終わるよう、調整をしています。
ちょうど隙間をすっぽり埋め尽くす感じでなんとか帳尻が合いそうでほっとしているのですが、そんなスケジュール帳をみて「横一列並んだら消えてくれないかなぁ」とか現実逃避をしています。
まー今週だけの緊急事態なので、週末になったらのんびり…と、思ったら今週末の土日は出張が入ってるんでした。
来週はどこかで有給でも取ろうかな。

体力のないぼくにとって「ジョギング」と呼ぶには心許ない徘徊を毎朝繰り返しているわけなのですが、空が明るくなっていく様をぼんやり眺めるってのが、毎日続けるモチベーションのひとつです。
ただ、帰って家事して子どもを送り出し、自分も出勤することを考えるとこの時期はどうしてもまだ暗いうちに帰って来なければならず、ちょっと寂しい思いをする時期です。
正直、早朝のまだ暗い時期に、道ゆく人とすれ違うと、目の前からぬっと中年男性が現れたらびっくりさせて申し訳ないな、と思ったりしながら、あまり大きな態度にならないようコソコソと徘徊しています。
そんな今日この頃ですが、帰る頃にはちょっとだけ空が青くなってくるようになってきて、そういえばもうすぐ節分ですし、着実に時間は過ぎてってるなあ、なんて当たり前のことを思ったりします。
もうすぐ日の出を見ながらの楽しい散歩の季節がやってきます。
その後には「まだ早朝なのになんでこんなに暑いんだ…」って季節がどうせまた来るのですが、そのことは一旦忘れて、毎日を過ごしたいと思います。

ちょっとだけ大きな仕事がまたひとつ終わりました。
ほっとしつつも達成感があって、こーいうのっていいなあ、と思ったりとかしていて、こーいう達成感を今後も感じられながら働き続けられたらなぁ、と思いました。
あ、でもあんまりヘトヘトになると、帰って趣味のために費やす体力がなくなるので、もうちょっと小さな達成感でもいいかもしれません。
あんまり小さすぎてもモチベーションにつながらないし、うーん、難しいところです。
というわけで、今日のブログは短めで失礼します。
イラストも、進んでないようで、実は線画をいじったりしています。
デジタルの面白いところは、一度清書した輪郭線も、後からいじれるところで「やめどきがわからない」というのもありますが、こちとら趣味で描いてるだけなので、自分的に満足するまでずっと弄ってられるってのは、とっても楽しいなぁと思います。

先週なんかやる気が出ない的なことを書いてたんですが、対照的にというかなんというか、本を読むことだけはなんかやたら元気で、ずっと読書に耽っておりました。
んで思ったんですが、色々放出ばっかりして、注入が枯渇してたのかもしれません。
そういえば昨年の秋以降、いや、もう秋って概念はないですね。10月くらいからでしょうか、なんか気分がいいからと仕事でもいろんなことを外に外に向かって発信していて、自分の中に新しいものを蓄えることが疎かになってたなーと、つまり自分がカラカラに干上がってたのかもしれないなと思い返しました。
循環を意識して、自分に入れるものと、自分から出すもののバランスをとらないとなー、と思いました。
なんて思うんですが、自分のことってなんでこうも盲目的になっちゃうんででしょうね?
こんなこと考えたのもきっと忘れてまたどっかのタイミングで「あれ?おかしいぞ?」とか思うんですよ、ぼくのことだから!

家の近所に綺麗なお店ができて、モーニングをいただいて、たいへん満足して会計をしようとしたら現金一択で、PayPayで払うつもりだったので財布は持ってきておらず、AirPodsと Apple Watchを身代わりに置いて現金を取りに家に帰ったんだけどぼくは出勤前で、しかも新しい道ができてて家までGoogleマップを見ないと最短ルートがわからなくて、時間がギリギリで焦るという夢を見たことを昨日の記事を書いた直後に思い出しました。
SNSとかで常に見るわけじゃないので最新でなくてもいいんだけど、Googleマップで道を調べたり、PayPayで支払ったりするからiPhoneは必要って件はこの夢の内容が無意識下にあったから出てきたのかもしれないなーと思いました。

年末年始にたくさん本を読んだので、気持ちに余裕がある時は感想なんかも書きたいなーとか思って今日は一冊書いてみようと思います。
ズドンと刺さって、以後悶々と考えを巡らせているのが谷川嘉浩さん著のこちらの本です。
ぼくの感想としましては「隙間時間に、特に明確な目的もないのにうっかりスマホの画面を開いて、なんかよくわからないけどついSNSから流れてくる情報を見てる時間は、じっくりと趣味と向き合い、自分の内面を見つめる時間に使った方が良いですよ〜と言われた。なんでかっていう理由も色々と教えてもらえた」って感じなんですが「物事をそんな簡単にわかったような気になってはいけませんよ、結論を保留してあれこれ考えてみてください。」とも言われた感じがして、なので悶々と考えを巡らせています。
数年前にメンタル的にとってもしんどかった時期があって、それを抜けたことをきっかけにぼくは「隙間時間にiPhoneを見る」ってのを極力やめたのですが、これが本当によくって、最近はそれにさらに輪をかけて「今iPhoneを使う理由はコレ」ってのを自分の中で明確にしてから使うようにしてて、これするようになってから1日のストレス総量が激減したなーと感じてます。
常に気持ちに余裕があって、急な感情の起伏をその余裕で吸収したりいなしたりできる感じです。
出先で周辺の美味しいお店をチャッピーさんに聞いて、Googleマップを使いながら行き着いたお店でPayPayを使って支払ったりするのでiPhoneは必要なのですが、もう最新のでなくてもいいな〜とか思ったりしています。
で、SNSみて使っていた感情と時間を趣味のお絵描きや読書に向けていると、これまた元気が湧いてきて、明日も頑張ろうとか思えちゃったりして、なんだかとってもいい循環だなーとか思ってるもんですから、この本に書いてることは「わかるぅ〜」って感じなんでうすが「そんなに簡単にわかった気になってはいけませんよ」と釘も刺されたようにも思えて、ぐるぐると考えているんですが、そうやって考えているうちに、なんかさらに毎日が良くなりそうな気がしてきて、とってもいいなと思っている今日この頃です。

仕事で生成AIをモリモリ使っています。
今まで人力でやってたことがこんなにサクッとできるのか!という驚きは本当にワクワクします。
一方で、猫も杓子も生成AIを使っていると「人間はどこいった?」みたいなやりとりになってしまいます。
これは勝手な想像なのですが、これからは選択と集中が大事なのだと思ってます。
例えば、ラブコメなんかで両片想いの相手が自分のために女の子がお弁当を作ってきたら、読者としては主人公が食べる前からご馳走様なシーンなわけじゃないですか。
あのお弁当箱に詰められたおにぎりが、はじめちょろちょろなかぱっぱ赤子泣いても蓋取るなな手間暇かけられたものではなく、スイッチポンで炊飯器が炊いてくれたものでも問題ないわけで、それよりも手作りの卵焼きに感動するわけで、生成AIもここでいう炊飯器みたいな使い方をすればいいんだろうな、と思っています。
デジタルが普及したせいで増えた仕事は生成AIにまるッとお願いして、人間にしかできない仕事に集中する、みたいなことを考えています。
その人らしさが出るような、ケレン味が大事なんだろうなーと思いつつ、生成AIを使った仕事の効率化を考えています。

正月休みからこっち、積読していた本をすごい勢いで読んでいます。
とにかく今は「本が読みたい期」みたいで、「なんかここ数日気分が上がらない」と先日のブログに書きましたが、よーく心の奥底を覗いてみると「本の続きが気になって他のことするのが面倒くさい」ということなのかもしれません。
実に素直な心です。
そのまままっすぐすくすくと育って欲しいものです。
いつもなら読書感想記事とかブログで書くのですが、今はとにかくインプットしたい気分みたいなので、アウトプットするかどうかはまたその時の心の判断ということにします。
冬の時期に、暖房の効いた部屋で、好きな音楽を聴きながらコーヒーを片手に本を読む。
幸せなことです。

ものすごい急なんですが、なんか気分がイマイチ上がらない日々を送っています。
「これのせい」みたいな具体的な理由が何も浮かばないのですが、なんか何もする気が起きないんです。
でも実は、昔から年に数日、そういう日があります。
仕方がないのでそういう日は、そういうもんだと思ってローギアでやり過ごしています。
そしたらまた、何事もなかったかのように、いつものように動けるんですが、これは一体なんなんでしょう?
みなさんも、そんな時ってあります?
まーおそらく何か、心の充電みたいなものが切れかけてるんだろうなー、やっぱり人間は機械とは違うなー、とか思ったりします。

子どもの頃から、顔が母親似だなーとは自他ともに思っておりました。
あれから幾星霜。
最近、何気なく鏡を見た際に「母方の親戚のおじさんがいる!?」とびっくりしたのち「あ、おれだった」と思うことがたまにあります。
そういえば、ぼくもとっくに「親戚のおじさん」でした。
なんかこう、世代交代感がありますね。
子どもの頃大好きだったゲームのファンアートをいまだに描いてるせいで時間の感覚がバグってしまいます。
