死ぬまでにあと何回虹を見るのか

先日、移動中に空に綺麗な虹がかかっているのを見かけました。

本当に綺麗な、絵に描いたような虹で「魔神英雄伝ワタルみたいだなぁ」と思いました。

そして「こんな綺麗な虹を見たのはいつぶりだろう?」と、記憶を検索してみたら、そういえば車で移動中にものすごく綺麗な虹が見えて、ゆっくり見たくて路肩に車を停めて眺めたことを思い出したんですが、それってなんと10年前のことでして、そう考えると、「ぼくは死ぬまでにあと何回綺麗な虹に出会えるんだろうか」と考えてしまいました。

…て、このフレーズは、坂本龍一さんの「ぼくは死ぬまでにあと何回満月を見るだろう」というのが元ネタで、初めてこのフレーズを目にしたときに、人生を無駄にしてはいけないな。と感銘を受けた、って話はこのブログでは以前にも書いた気がします。

人生を無駄にしてはいけない、といっても、タイパ・コスパの話ではなくて、無駄や余白も人生には必要で、ケがあるからハレが輝くわけで、あとで振り返って「この時間はなんだったんだろうな」って時間がなるべく少なくなるよう、1日1分1秒を大事にしたいな、と虹を眺めながら思いました。

お絵描きもぼくには大切な時間です

今週は旅人です

昨日、出張に行っていると綴ったぼくですが、今日も出張です。というか今週は日曜まで出張で、日本を北から南までさすらってます。

おお、なんかデキるサラリーマンみたいですね。

兵隊としてあちこち派遣されているだけかもしれませんが、普段見ない景色を色々と見るのは刺激があって楽しいもんです。

聞き慣れない方言を聞くのも新鮮ですよね。で、そういう時、自分も普段方言を喋ってるんだべなー、と自分を相対化するのも面白いです。

ぼくは1人だと食事がテキトーになる…というか、普段と同じものを食べようとスーパーやコンビニに駆け込んでしまうんですが、今回は同行者もいるおかげで「せっかくなので地域のものを」ってエンジンも駆動するため、そういった点もありがたいなと思います。

ホテルに帰って1人の時間がある時は、持ち歩いてるiPadでお絵描きをします。

自宅だと常に家族の気配があるのに対して、とっても静かな時間で、こういうのもたまには良いなと思います。

家を1人で回してくれている妻にも感謝して、お土産リストも作りつつ、今日はこれにて失礼します。

出張中です

お接待をして遅く帰ったビジホの一室からこんばんは

色々書こうと思ったのですが、明日も早いのでもう寝ます。

せっかくのヒトリノ夜なので、のんびり絵を描こうと思ってiPadとApple Pencilと持ってきたんですけどね。

まあ、若い頃と比べて気を使わなくてよくなったのは良かったです。

というわけで、明日のりとに乞うご期待!

FF43Dリメイクをクリアした

コロナに罹って、自室に閉じこもって悶々としてた時に、うっかりセールになってたFF4の3Dリメイクを買いました。

FF4は本当にお話が大好きで、おそらく11歳の誕生日にスーファミと共に買ってもらって、当時のことなんで一度買ってもらったゲームソフトは何度でも遊び倒すから余計に思い入れが強くなって「好き」の強度がさらに増してるんだと思います。

自分も未知のウイルスに苛まれたパンデミックの閉塞感の中で、キラキラした子ども時代の思い出と交差するのはなかなかにエモい体験でしたが、潜伏期間を終えると同時に、FF4の続きを進めるのもいったん停めてたんですが、今年になって積みゲーを消化しよう強化月間が巻き起こり、先日やっとクリアしたのでした。

実は若い頃にDS版もの買ったんですが、ちょうど結婚とかしてたのでそのまま積んで売ってしまってて、今度こそ、3Dでラストバトルを見ようと頑張りました。

「頑張りました」というのが、もとのスーファミ版に比べて3Dリメイク版は難易度が上がっていて、その難易度の上げ方というのが、味方の攻撃の命中率が極端に下がっていたり(カインがジャンプを連続3回ミスったりはザラです)、敵がしょっちゅうカウンターをしてきたり、というプレイヤーの技能に関わらない運の要素の部分で、ぼくはついぞ、レッドドラゴン(ラストダンジョンで普通にエンカウントする敵)に勝つこと無くエンディングを迎えました。

そんな、多少イライラしながらプレイしたFF4ですが、やはりあのラストバトル前の展開はずるいですよね。

何度もやって知ってるはずなのにうっかり泣きかけました。

おっさんはすぐ泣きます。

あの展開を3Dで見られただけで、やって良かったと思いました。

はー良い物語を摂取しました。

また期間を空けて、これまた積んでるピクセルリマスター版をクリアしようと思います。

洗濯物が焦げる

「こんなに暑いと洗濯物が焦げる」

洗濯物を干していると、祖母が夏になると冗談混じりによくそう言ってたことを思い出します。

祖母が他界したのが12年くらい前で、元気だったのはもっと前になるわけなんですが、あの頃なんか比べ物にならないくらい洗濯物が焦げて消し炭になりそうだな、と思います。

2100年には地球の平均気温は2度上昇して、世界中の砂浜は6割減るんでしたっけ?

なんかそんな記事を見たような気がします。

「暑いですねぇ」「そうですねぇ」「10月くらいまで暑いなんて、やってられないですねぇ」「お互い体調に気をつけましょう」みたいな、そんな世間話を職場でやってるだけでは済まされないような、そんな世の中になってるんじゃないか?なんて思うとゾッとします。

ぼくが祖母が他界した年齢になるころ「なんでもっと早く手を打っとかなかったんだ!?」と若い方に言われるんじゃないかと心配になります。

ロスジェネがこれ以上いじめられないよう、日頃から若い方には優しく接しておこうと思う今日この頃です。

それでも、またいつか

最近のぼくは、PCに接続して使うワコムの液タブさんをしまってしまい、iPad Airオンリーでデジタルイラストを描いております。

どこでも自分が「描こう」と思った場所が作業空間になるため、液タブに比べて圧倒的にイラストを描くことへの敷居が低くなり、そのことはとっても良かったと思ってるのですが、それでもやっぱりワコムさんの描きやすさが、まるで在りし日の夏のように、蜃気楼の向こうで「良い思い出」として脳裏に蘇ったりすることがたまにあります。

やっぱ、なんだかんだ言って、思った線が引けるんですよね。さすがはペンタブのメーカーさんです。

あの書き味が懐かしいです。

でも、今はやっぱ総合的に考えてiPadの方が便利です。

ワコムが近隣のコインパーキングに車を停めて買いに行かなければならない老舗の豆腐店なら、iPadはショッピングモールの中に入ってるスーパーに売られた豆腐で、豆腐を買ったついでに肉でも本でもパンツでも買えて、ついでにカフェで休憩までできてしまうわけです。

今のぼくには、このオールインワンな感じがありがたい。

でもいつか、美味しい豆腐をわざわざ専門店に買いに行くような丁寧な暮らしがしたいんです。

なのでいつか、それこそ定年退職でもしようものなら、退職金とか使って、それこそずっと憧れていた作業環境を作ったりするのも楽しそうだな、とか今から妄想しています。

そのためにも今しっかり働いて、ニーサやイデコを頑張るのです。

絶筆

「あ、美術館に行こう」

ぼくはたまに、発作のようにそう思うことがあります。

そんな時は、半休とか取ったりして、昼から仕事を抜け出して美術館にいきます。

大きな特別展が来てる時なんかはそうでもないですけど、平日、閉館前の美術館ってとってもゆっくりとした時間が流れててとっても良い感じです。

常設展とかで「あーこの美術館はこんな作品を持ってるのかぁ」ってのを楽しむのも、土日祝日より、平日の方が向いてる気がします。

個人の感想ですけどね。

で、今回ふと目と心に留まったのが、とある画家さんが描かれた風景画で、ぼくも不勉強で絵と名前とが一致しないような地元にゆかりのある方が描かれた絵だったんですが、タイトルの横に、その方が生前最後に描かれたって意味の「絶筆」て言葉が添えられてたんですよね。

絶筆って、絵描きにとっては人生の集大成じゃないですか。

なので、絶筆作品を見ると、なんかこう、背筋が伸びるというか、襟を正して見ないといけないな、って気分になります。

と、同時に「ああ、この方は死の間際まで絵筆を握られてたんだな」っていう、尊敬の念を抱きます。

ぼくも面白楽しく、絵を描き続けたいです。

ティーポットが宙に浮いてしまった…

それは多分、お互い様

ぼくはIT系ではない業界でITの係を仰せつかっているので、日々職場のサーバーやらクラウドやらの管理をしております。

人によっては、ITに詳しくない人へ色々とお願いをして、何かちょっとでも普段通りのことができなくなるトラブルが起きれば針の筵に遭う可哀想な業務、と同情してくれるのですが、ぼくとしては自分が原因ではない急なマシントラブルや利用規約の改変による誤作動は「いやぁ、どうしようもありませんねぇ〜」でのらりくらりとできる性格なもので、面白おかしく日々働かせてもらっています。

そんな今日この頃なのですが、ふとサーバー内のデータの整理をしていたら、たまたま同い年だってことがわかって色々と意気投合している同僚が、8年前にプレゼンをしている時の記録映像が出てきて、その業務はぼくも手伝ったのでよく覚えていて最近のことのように思い出されるのに、映像の中の姿を見て「うわ、若い!!」とかびっくりしてしまい、彼に対してそう感じるのであれば、彼もまたぼくを見てそう思うのだろう、という事実に直面して、時の流れとは残酷だな、と思いました。

中身は学生の頃から対して変わってないのにね



何某は暇なし

小学生の息子が夏休みになったので、日中は学童保育にお世話になっております。

給食は出ないので弁当を持たせ、出勤ついでに車で送っていきます。

今朝も慌ただしく準備をして、送迎中にふと目にしたバス停で、息子と同い年くらいの女の子とそのお母さんと思しき女性が、どちらもワンピースに幅広の帽子という出立ちで、それぞれキャリーバックを手にバスを待っているのが見えました。

その優雅な姿が、自分たちとはあまりにかけ離れていて、この差は一体なんなんだろう?と思わずにはいられませんでした。

もちろん、その女の子だって普段は学童保育に行っているのかもしれません。

今日は年に一度の旅行の日なのかもしれません。

でもなんか、いろんなことを思わずにはいられない一幕でした。

まー息子は学童保育が楽しいみたいなんで、いいんですけどね。

ぼくもたまに、夕方早く帰ってまだ学童が終わる前の時間に息子を迎えに行くんですが、たくさんの子どもたちが屋内外を問わず、思い思いのことをしながら自由に遊んでいる姿があって、在りし日の子どもの姿があるような、そんな感じがして、そんな経験をさせてくれる場があることをありがてーなーと思ったりもします。

あ、ラジオ体操の時期か

朝、散歩をしていると、小学生やその保護者さんと思しき方々が「これから祭りでもあるの?」って感じでフラフラと歩いてるのを見かけ「あ、ラジオ体操か」と思い至りしました。

我が家にも、小学生の子どもがいるのですが、ウチの町内はコロナ禍をきっかけに、そのままラジオ体操を廃止してしまいました。

上の子どもが小さい頃はやってたのですが、小学校に登校するよりも早い時間に叩き起こし、結構なペースで当番も回ってくるしで「いや、こっちも仕事に行くんですけど?」って思ってたので、ラジオ体操がなくなったのはありがたいんですが、小学生時代の夏休みに、早起きしてラジオ体操に行って、友達と遊ぶ約束を取り付けるって思い出が作れないのは、それはそれでかわいそうだなぁ、と思います。

それにしても、同じ小学校区でもこの地域差、これも分断のひとつか…って思うのは大袈裟ですかね。

夏休みに限らず、普段小学校に登校する期間も、朝の旗当番が月に2回回ってきます。

朝、焦るのが嫌なので、ぼくは旗当番のたびに有給を取っています。

親の義務や愛情が負担になりすぎるのも、少子化に拍車をかけるのでは?とか思わないでもないですが、ネグレクトもよくないし、難しいところだな、と思います。

前もちらっと書いたんですが、ぼくが子どもの頃は、もっとほっとかれてた気がします。でも一方で、きっと今より事故や怪我も多かったんでしょうね。子どもが安全に過ごせるように、いつでもどこでも大人の目があるように。

そういえば、上の高校生の長男は、スマホのGPS機能のおかげでいつでもどこにいるかバッチリ把握できるため、学校から帰るのが遅い日なんかは妻が今どこにいるかを確認して「あと15分くらいで着きそうだから、夕飯温め直すか」みたいなことをしているわけですが、自分が高校生だった頃に、常にどこにいるかを親に把握されてたら…と思うと絶望しそうなもんですが、これもデジタルネイティブの感覚ってことでしょうかね、本人はまったくけろっとしたもんです。

え?ぼくが高校時代、どこで何をしてたかですって?

それは言えませんね。

次のイラストを構想中